「愛妻家の日」、聞いたことがあるでしょうか?
「1=I(アイ)」「31=サイ」で、1月31日は、知る人ぞ知る「愛妻家の日」なのです。
血を分けた子どもたちとは違って、誰よりも身近なのに、実は「赤の他人」という不思議な存在。
それが夫婦です。
もし、その「赤の他人」を本当に大切にすることができたなら、世界はもう少し平和なものに変わるかも…。
そんな理想を掲げる日本愛妻家協会によって、「愛妻家の日」は制定されました。
外国人は愛妻家が多いけれど、日本の男性は…というイメージを持っている人も多いかもしれません。
けれども、実は、日本人こそ、世界で最も妻を愛する民族だったのです。
その起源は、神話の昔、ヤマトタケルノミコト(日本武尊)にまで遡ります。
東国の平定に向かうヤマトタケルノミコトは、現在の房総半島へと船を進めようとした矢先、
恐ろしい嵐に遭遇してしまいます。
そのとき、夫のピンチを救うため立ち上がったのが、妻であるオトタチバナヒメ(弟橘比売)でした。
彼女は、海神の怒りを鎮めるべく、わが身を生贄として海に飛び込みます。
オトタチバナヒメの思いが通じたのか、何事もなかったかのように嵐はおさまり、
ヤマトタケルノミコトは無事、東国の平定に成功しました。
そして、帰路、愛する妻を思い出し、彼は人目もはばからず、
「吾妻(あづま)はや(=わが妻よ)」と三度叫び嘆くのです。
東国のことを「あづま」と呼ぶのはこのため。
また、この悲しみにくれた地は、現在の「群馬県吾妻郡嬬恋村」です。
その名前とエピソードから、愛妻家の聖地とされています。
日本人の愛妻家伝説はこれだけではありません。
大河ドラマでも取り上げられた稀代の軍師、黒田官兵衛。
豊臣秀吉を天下人へと押し上げた立役者です。
実は、彼も日本を代表する愛妻家の一人。
若い頃に一緒になった妻を大切にし、なかなか二人目以降の子どもに恵まれなくても、
生涯側室を持つことはありませんでした。
そして、この豊臣秀吉、黒田官兵衛と天王山の戦いを演じた明智光秀もまた、大の愛妻家として有名でした。
美しい妹よりも疱瘡の痕が顔に残る姉の方を妻として迎え入れた光秀。
彼は、不遇の浪人時代も、信長の部下として出世した時代も、側室を置かず、妻一人を常に大切にしたと言います。
どちらも頭脳明晰であった官兵衛と光秀。
側室を持つことが当然とされていた戦国時代において、天下を争った智将二人が、揃って愛妻家だったとは…。
これでは、現代の私たちも、「仕事、仕事…」と言い訳をして、妻をないがしろにしているわけにはいきません。
どんなに忙しい毎日であっても、いや、仕事に翻弄される日々だからこそ、大切にしたいのが夫婦の絆。
妻への感謝と思いやり、そして愛情を常に心に携えて…。
真の「仕事人」は、かくありたいものですね。
そして、妻の方も、常に笑顔と気遣いを忘れない「愛される妻」でいたいもの。
先ほど紹介した光秀の妻も、お金のない時代には自らの黒髪を売り、夫の面目を立てたそうです。
時には時計の歯車のように、時には車の両輪のように。
いつまでも愛し愛され、息ピッタリに暮らしていきたいから。
美味しいご飯ととびっきりのお酒は、まるで潤滑油のように、今日も二人の会話を弾ませてくれます。
この気心の知れた最愛なる「赤の他人」との時間がどうか永遠に続きますように…。
「愛妻家の日」。
お酒が、そんな二人の仲を取り持つ一助になれば、これほど嬉しいことはありません。
「1=I(アイ)」「31=サイ」で、1月31日は、知る人ぞ知る「愛妻家の日」なのです。
血を分けた子どもたちとは違って、誰よりも身近なのに、実は「赤の他人」という不思議な存在。
それが夫婦です。
もし、その「赤の他人」を本当に大切にすることができたなら、世界はもう少し平和なものに変わるかも…。
そんな理想を掲げる日本愛妻家協会によって、「愛妻家の日」は制定されました。
外国人は愛妻家が多いけれど、日本の男性は…というイメージを持っている人も多いかもしれません。
けれども、実は、日本人こそ、世界で最も妻を愛する民族だったのです。
その起源は、神話の昔、ヤマトタケルノミコト(日本武尊)にまで遡ります。
東国の平定に向かうヤマトタケルノミコトは、現在の房総半島へと船を進めようとした矢先、
恐ろしい嵐に遭遇してしまいます。
そのとき、夫のピンチを救うため立ち上がったのが、妻であるオトタチバナヒメ(弟橘比売)でした。
彼女は、海神の怒りを鎮めるべく、わが身を生贄として海に飛び込みます。
オトタチバナヒメの思いが通じたのか、何事もなかったかのように嵐はおさまり、
ヤマトタケルノミコトは無事、東国の平定に成功しました。
そして、帰路、愛する妻を思い出し、彼は人目もはばからず、
「吾妻(あづま)はや(=わが妻よ)」と三度叫び嘆くのです。
東国のことを「あづま」と呼ぶのはこのため。
また、この悲しみにくれた地は、現在の「群馬県吾妻郡嬬恋村」です。
その名前とエピソードから、愛妻家の聖地とされています。
日本人の愛妻家伝説はこれだけではありません。
大河ドラマでも取り上げられた稀代の軍師、黒田官兵衛。
豊臣秀吉を天下人へと押し上げた立役者です。
実は、彼も日本を代表する愛妻家の一人。
若い頃に一緒になった妻を大切にし、なかなか二人目以降の子どもに恵まれなくても、
生涯側室を持つことはありませんでした。
そして、この豊臣秀吉、黒田官兵衛と天王山の戦いを演じた明智光秀もまた、大の愛妻家として有名でした。
美しい妹よりも疱瘡の痕が顔に残る姉の方を妻として迎え入れた光秀。
彼は、不遇の浪人時代も、信長の部下として出世した時代も、側室を置かず、妻一人を常に大切にしたと言います。
どちらも頭脳明晰であった官兵衛と光秀。
側室を持つことが当然とされていた戦国時代において、天下を争った智将二人が、揃って愛妻家だったとは…。
これでは、現代の私たちも、「仕事、仕事…」と言い訳をして、妻をないがしろにしているわけにはいきません。
どんなに忙しい毎日であっても、いや、仕事に翻弄される日々だからこそ、大切にしたいのが夫婦の絆。
妻への感謝と思いやり、そして愛情を常に心に携えて…。
真の「仕事人」は、かくありたいものですね。
そして、妻の方も、常に笑顔と気遣いを忘れない「愛される妻」でいたいもの。
先ほど紹介した光秀の妻も、お金のない時代には自らの黒髪を売り、夫の面目を立てたそうです。
時には時計の歯車のように、時には車の両輪のように。
いつまでも愛し愛され、息ピッタリに暮らしていきたいから。
美味しいご飯ととびっきりのお酒は、まるで潤滑油のように、今日も二人の会話を弾ませてくれます。
この気心の知れた最愛なる「赤の他人」との時間がどうか永遠に続きますように…。
「愛妻家の日」。
お酒が、そんな二人の仲を取り持つ一助になれば、これほど嬉しいことはありません。